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特養入所事例 修復できなかった母子関係②

修復できなかった母子関係② えっちゃんのブログ
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沢野孝子(仮名:72歳)さんと初めて出会ったのは、入所前の事前面接の時に、孝子さんの暮らす古いアパートを訪問した時の事でした。
このアパートは、長男の進さん(仮名 55歳:某中学校の校長)が孝子さん用にと借りているアパートでした。

部屋の中は、とても殺風景で、小さなテレビ、寝具一式と小さな衣装ケース、食事を食べるための小さなテーブルが置いてあるだけの部屋でした。
キッチンにはガス台は無く、電気ポットと幾つかの食器が置かれていました。
生活感がないと言えばない部屋で、孝子さんはどのような生活をされているのかと不思議でたまりませんでした。

生活感の全くないアパートで暮らすおばあさん

事前面接には、長男夫婦が同席し、私は、日頃の孝子さんの日課や受診状況などの質問をしました。
私は孝子さんの顔を見て、孝子さんに向けて幾つかの質問をしたのですが、答えるのは全て長男の進さんでした。
進さんの横に座られている長男の妻である和子さん(仮名)も孝子さんにはしゃべらせないような雰囲気を醸し出していました。

孝子さんが、このアパートに転居してきたのは半年前でした。
孝子さんは、一緒に暮らしていた方がおられたのですが、その方が病死し、孝子さんがひとりになってしまったのです。

福祉事務所から連絡をもらった進さんは、最初は母親ではないと拒否したようですが、何度かのやり取りの末、孝子さんを引き取ることにしたと言います。
しかし、同居には進さんは勿論、妻である和子さんも大反対でした。
進さんは、仕方なく、自宅から近い場所にあるアパートを借りて住まわせることになったのです。

孝子さんは、進さんが物心付いた頃から運送会社でパート事務員として働いていたようです。
夫婦仲は悪く、何度か孝子さんが家出を繰り返していたと言います。原因は、孝子さんの男性関係だと言います。

進さんが子供の頃に、頻回に孝子さんの実家に預けられたといいます。
今思うと、父には実家へ遊びに行くと言って子供を両親に預けては、男性との情事を繰り返していたのだと思います。

そして、進さんが大学生の時に、両親が離婚し、孝子さんは家を出て他の男性の元へ行ったのだと言います。

他の男のところへ旅立つ妻

離婚時には進さんは既に成人し、東京の大学へ進学していたため、両親の離婚は報告だけ受けたと言います。

大学を卒業して教員になった進さんは、地元に帰り、父親である太一さん(仮名)と二人の生活をスタートさせました。
教員となって数年が経った頃、何度か孝子さんが訪ねてきたと言います。
進さんは母親である孝子さんを受け入れることが出来ず、ただただ嫌悪感しかなかったといいます。

それにもかかわらず、父親は何を考えたのか、孝子さんを一緒に住まわせたと言います。
進さんが32歳になり結婚し独立し、孝子さんは、父と二人で暮らすこととなりました。

ところが、孝子さんは、父の定年を機に家を出て行きました。
さらに、孝子さんは、太一さんの預金通帳から多額の預金を引き出して持ち出したと言います。

進さんが『母』としての孝子さんを消し去った瞬間です。
何度も何度も裏切られ、進さんは、自分には母はいなかったと、孝子さんの存在を消したと言います。
自分は孝子さんの子供ではないと思うようになったと言います。
孝子さんが本当に自分を産んだのであれば、こんな残酷なことは出来ないと・・・犬、畜生以下の人間だと言い切りました。
進さんは、孝子さんが去ってから、妻の和子さんと太一さんが亡くなるまで世話をしたと言います。

こうして孝子さんは特別養護老人ホームへ入所になりました。
孝子さんは、無年金者です。
孝子さんの負担金は当然ゼロです。

家を出てから年金を収めたことがなく、当時は、25年間の納付がないと年金が受給できませんでしたから、孝子さんの収入はゼロでした。
しかし、公的介護保険制度以前の措置入所の場合は、進さんにも入所費の負担金が生じました。
進さんの前年度の課税状況に比例して負担金が生じるので、進さんの負担金は最高額の24万円でした。

進さんは、親でもない孝子さんに、何故自分に支払い義務があるのかと市役所に訴えました。
進さんは、孝子さんのためには一銭も支払いたくないのだと訴えました。

当時は、特別養護老人ホームへ入所すると、住所地は施設の住所地になり、孝子さん自身が世帯主になります。
孝子さんは、単独世帯と認定され、財産もなく無年金者であると判断されたのです。

色々と問題はありましたが、入所して1年後には、孝子さんは特別養護老人ホームから養護老人ホームへ移って行かれました。
それ以降、進さんは孝子さんの面会に訪れることはなかったと言います。

孝子さんが亡くなられても引き取りを拒否し、孝子さんは無縁仏が眠る納骨堂へ安置されたと言います。

「母とは思えない」「母のはずがない」「母はいない」「早く死んでほしい」
孝子さんの顔を見るたびにつぶやいていた進さんの言葉は、孝子さんへの憎しみがこもっていました。
母よりも女であることを優先した母、孝子さんの末路です。

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