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特養入所事例 遺産相続で介護者が決定

遺産相続で介護者が決定 えっちゃんのブログ
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大沢とき(仮名)さんは、8人兄弟の長女として生まれ、子供のから弟や妹の世話をしながら生活し、尋常小学校を卒業した後も、農業を手伝いながら暮らしていた。18歳で大沢一郎さん(仮名)に嫁ぎ8人の子供を授かりるも、日々家事と8人の子育てに明け暮れていたという。

子供たちがそれぞれ独立すると、宗教活動や宗教団体のボランティア活動に積極的に参加するようになったという。

一郎さんが72歳の時、肝臓がんが見つかり、長男夫婦宅へ身を寄せることになった。一郎さんは肝臓の半分を切除し治療に努めたが、手術から1か月後に帰らぬ人となった。夫が肝臓がんと診断された頃から、ときさんには認知症の症状が出始めていた。

長男夫婦は、一郎さんが生前に一郎さん宅を処分し、二人の世話は自分たちが見るからと兄弟姉妹たちを強引に説得したという。一郎さんが亡くなった後、しばらくすると、長男宅を改築し、ときさんを離れに一人で住まわせ、長男の嫁がときさんの財産(遺族年金)を管理するようになったという。

一郎さんの家を一方的に処分し、通帳なども長男夫婦が全て管理し、ときさんとの面会をも拒否したことで、長男夫婦と他の兄弟姉妹との関係は最悪な状態となり、それ以来、行き来は殆ど無くなったという。

遺産が絡む兄弟喧嘩

ときさんの介護は長男の妻が全て担っており、長男は、ときさんの介護に関することでも他の兄弟姉妹に協力を求めることには拒否し、また、行政のお世話になること、福祉サービスを利用することに対しても否定的であった。

ときさんの徘徊がひどく、度々警察で保護されるようになっても、他の子供達が協力することは無く、同居している孫たちもときさんのことには無関心であった。

支援センター職員も、家族の認知症への理解を促したり、専門医(精神科)の受診を勧めたりするも聞き入れず、地域住民の協力や在宅サービス(デイサービス)を利用することを説明を何度も行ったが、長男は頑として受け入れなかった。

ときさんは、徐々に認知症が進行し、徘徊(外出すると家に戻れず、県外まで出かけることも有り、警察での保護が頻回となった)、火の不始末、異食等の症状が出現し、排泄等の後始末が困難になってきた。地域住民からも民生委員を通じ苦情が発生したため、特別養護老人ホームへの入所を勧めるも、長男が理解を示さず、長男の嫁が全ての介護を担っていた。

民生委員から、在宅支援センターへ、嫁の介護力不足(在宅での食事が与えられていない・着替え等が行われず失禁したままの状態で徘徊している等)の指摘が相次ぎ、嫁のときさんへの暴言や、引きずって連れて帰るなど虐待とも思われることもあった。

長男家族に虐待されるおばあちゃん

長男宅に身を寄せる前のときさんはぽっちゃりした体型だったのが、転居後は、がりがりに痩せて見る影も無くなったという。

寒い冬の朝、県外で警察に保護されたときさんは、栄養失調状態で、裸足で便失禁していたという。
長男夫婦は、虐待の疑いで事情徴収され、ときさんは保護された。

一郎さんとときさんの通帳にあった5000万円もの残高は0円になっていたという。

特別養護老人ホームへ入所した後は、童謡や文部省唱歌等の音楽に反応し、口ずさむこともあるが、食事以外は今でも徘徊し、家に帰ると言い続けているという。

入所後には、他の家族との面会を果たしたときさんであったが、娘さんの顔も判断できなくなっていた。

なぜ長男は特別養護老人ホームへの入所を拒んだのか。

推測の域を出ないが、それは長男の『意地』だと思う。
母の世話をする代わりにお金をわがものにした手前、他の兄弟に対して、最後まで自分が看ているという様に見せたかったのではないか。

残念ながら、しっかりと介護もできず、結果として虐待という犯罪に至ってしまった。

保護されるたびにいろいろとアプローチをしてきたが、行政や私たちとしても介入できる範囲には限界があり、そこには何ともしがたいジレンマが付きまとう。

つまらない『意地』などよりもっともっと大切なものがあったのではないでしょうか。

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